石巻プロジェクト②(2012/2/17〜19)その2 

ボランティア専用簡易宿泊所
ボランティア専用簡易宿泊所

宿泊したボランティア専用簡易宿泊施設の前でオーナーのご夫婦と記念撮影。→

オーナーは、名古屋の建築士の方で、震災直後に建物診断の作業のために石巻に来て、ボランティア専用宿泊施設の必要性を痛感したそうです。

津波の被害を受けた貸家を3棟借りて、自ら四日間で改造して作り上げた施設です。

奥様もその趣旨に賛同されて石巻に来ていました。

 

同宿の名古屋から来た大学生やボランティア活動を支援するNGOの職員の女性らと、深夜まで熱い語り合いがありました。

石巻立町復興 ふれあい商店街
石巻立町復興 ふれあい商店街

← 宿泊所を後にして、前日と同じ24時間営業のレストランで朝食を取ったあと、今朝仙台からバスでやって来たメンバーを石巻駅前でピックアップし、被災地の案内を申し出てくれたHさんと合流して最初に向かったのは、被災した商店主達が集まって店を開いている「石巻立町復興 ふれあい商店街」でした。

大川小学校
大川小学校

Hさんの車に先導されて向かったのは、70余名の子ども達と10人の先生が津波で流されて犠牲になった「大川小学校」です。

まずは、お線香をあげました。

裏山に逃げていれば助かったと言われる、その裏山には残雪がありました。

そして、津波に襲われた校舎の残骸は、想像を絶する物でした。

折れて鉄筋がむき出しになった円柱の柱が津波の力の恐ろしさを伝えています。

 

へし曲げられた鉄筋。

プールだったところには、なぜか枯れ草の山。

プールの目洗い・水飲み場だけは、壊れていない。

無数の大きな岩。

校舎にぽっかり空いた穴.そこから見えた教室の内部。

近くには、診療所の建物の残骸の一部。

 

慰霊のための祭壇?に置かれた被災前の学校周辺の写真を見ると、たくさんの住宅などが建っている。

Hさんの説明でも、商店などがあったと言う。

今はなにもない、土台もない。片付けられてしまったのだろうか。

人々が生活していた名残すらなくなっていた。

土手のそばに無惨な車の残骸が放置されていた。

川底から引き揚げられたのか、こんな無惨な車の姿を見たことがなかった。

 

・・続き