カンボジア旅行記(アンコール遺跡観光ツアー)

期間:2012年12月14日から18日

主催:JTB

行程:行き、成田ーバンコク空港(乗り継ぎ)ーシェムリアップ空港

   帰り、シェムリアップ空港ーバンコク空港(乗り継ぎ)ー成田


【出発からシェムリアップのホテルに着くまで】

・・バンコク空港まで・・

 

12月14日 京成金町7:24発に乗る。

高砂で北総線経由のスカイアクセス特急に乗り換え、8:27 空港第二ビル駅で下車。

3階の国際線出発ロビーJTBカウンターでeチケットを受け取る。

このツアーは,添乗員がつかないので,カンボジアの空港までバンコクでの乗り継ぎを含めて自分たちで判断して行動しなければならない。(現地では現地ガイドがつくはず)

実は、添乗員がつかない海外ツアーは初めて。

搭乗までに時間があったので、4階に行き、マクドナルドでコーヒーを飲む。

10:50発 JL717便 タイのバンコク空港行き 離陸は11:20

我々の周りはタイに帰国する学生らしい男女が大勢いて、ほぼ満席。

窓際の席だったので,眼下に日本列島の海岸線がよく見えた。
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インドシナ半島の上空からはおそらくメコン川であろうと思われるおおきな川が見えた。
バンコク空港に近づき高度を下げたのでタイの農村や工場などがよく見えた。
土地は奇麗に長方形に区画整備されていた。

飛行時間,約6.5時間。
日本との時差2時間。
現地時間16時.バンコク空港には、ほぼ定刻に着いた。

 


・・バンコク空港からシェムリアップへ・・

 

乗り継ぎ便搭乗口への移動も四苦八苦しながらできたが、カンボジアのシェムリアップ空港への飛行機が定刻より1時間以上遅い(17:55⇒19:00)ことが判明。(あとで聞いたところに寄れば、1機が往復しており、良く遅れるようだ.)

仕方なく,時間つぶしに空港内のショップを散策することにした。

ところが値札を見ると、タイのバーツ表示。
バーツの為替レートは調べて来なかったので、円換算が全く出来ない。
仕方なく、一番安い「象」のキーホルダーを買ってみた。
200バーツが6.78ドルだった。

これで、バーツを円換算するときは,約3倍すれば良いことがわかった。

結局他には何も買わなかったけど,わずか1時間しか乗らない乗り継ぎ便で食事が出ないことを想定して、安そうなレストランで食事をとった。

二人とも200バーツの料理を注文して、15ドル、ちょっとボラれたかな。
まぁ店によって換算レートが異なるのは仕方のないこと。

バンコク空港を離陸して10分もしないうちにシートベルト着用サインが消え、CA達がおしぼりを配り始め,次に箱に入った軽食セット(サンドイッチやカットした果物など)が配られた。

食事が終わるかどうかの時にCAが軽食セットの箱の回収に動き出していた。

なんでそんなに急ぐのかと不思議に思っていたら、すぐに飛行機が下降し始め着陸。


なんと、飛行時間は40分ほど。(19:35〜20:15)

シェムリアップ空港の入国審査、自分はすんなり通ったけど,妻は係官に笑顔を見せたせいか、指紋を取られてしまった。

 

指紋の採取については、どうも対応に個人差があるようだ。

空港を出たところで、LOOKJTBの紙を掲げている日本語が話せる現地ガイドと合流。


ここでもう一人のツアーメンバー(女性)と合流。(ホテルは別)

市内のホテルまではマイクロバスで15分ぐらいだったかな。

ホテルに着いたら、もう一人のツアーメンバー(男性)と会うことが出来た。
ホテルには日本人の従業員がいて、いろいろ説明してくれた。

 

ホテルの部屋に入り、シャワー、洗濯をして、翌日のために荷物の整理をしていたら12時近くになってしまったので、急いで寝ることにした。

今日は5時起きで、しかも時差2時間、つまり21時間起きていたことになる、眠いはずだ。


【1日目】・・朝食と遺跡チケット(パスポート)入手・・

 

翌日は6時に起床。

ホテルの朝食はバイキング方式、メニューはカンボジア料理のフォー、各種パン、果物などあった。
もちろん,東南アジア特有の果物であるドラゴンフルーツやパインナップルなどはあったがその種類は思ったほどの種類はなく、少し残念。

朝食後、時間があったので、ホテルの周りを少しだけ散策した。
7時過ぎていたので、通勤、通学の人達を見ることが出来た。

マイクロバスで迎えにきたガイド(昨夜と同じ現地ガイド、ソーさん)とホテルを出たのは8時過ぎ。

別のホテルで7人を乗せ、今日のツアーメンバーは10人となった。

マイクロバスの中で、ガイドのソーさんからまず注意されたことは、遺跡などで必ず小さな子どもが寄って来て色々売りつけるが、哀れみの気持ちで購入するのは出来れば止めて欲しい、とのこと。


観光客が購入すると、親は稼ぎを優先して子どもに学校へ行かせなくなる。

結果として子どもに教育の機会が失われる。将来のことを考えると子どもにとって良くない。

バスは、まず遺跡に入場するためのチケットセンターに行き、そこで全員が顔写真を撮り、顔写真入りチケット(パスポート)を受け取った。


チケットには、1日用(20ドル)、3日用(40ドル)と1週間用(60ドル)とあり、我々は3日用だった。

 


・・アンコール・トム遺跡観光・・

 

まず、最初に向かった遺跡は、アンコールトム。

バスはアンコールトムの南大門をくぐり、アンコールトムの中心的なバイヨンと言う寺院が見えるところで停車。
ここから徒歩で遺跡見学となる。

バイヨンの石の壁面の彫刻についてガイドの説明を聞きながら進む。
有名な観世音菩薩の四面像も見た。

バイヨンの次は、象の彫刻が多数見られる「象のテラス」。

右手には「プラサット・スーラ・プラット」という塔が見える。


12基あると言うことだが、木の陰になったりして全部は確認できない。


近づいて見たい気がしたが、皆から余り離れるわけにはいかないので我慢した。

石に彫刻された象、女神、ナーガと呼ばれる蛇、シンハと呼ばれる狛犬のような獅子の像など、飽きる程眺めることが出来た。


・・午後の観光・・トンレサップ湖クルーズ・・

 

ツアーのスケジュールでは、昼食後にホテルに戻ることになっていたが、ツアー参加者全員が東南アジア最大の湖であるトンレサップ湖クルーズのオプショナルツアーに参加することにした。

途中から舗装されていない道を20分程走ってクルーズ船乗り場に到着。

クルーズ船は我々の貸し切り。
貸し切りと言えば聞こえがいいが、大した船ではない。

男性の船長の他、小学校1~2年生ぐらいの男の子二人。

この二人が、乗船後間もなく我々のメンバーの後ろに廻って肩を叩き始めた。

皆、バスの中でのガイドの言葉を思い出したように、拒否のジェスチャーをした。

子どもは、拒否されても、次のメンバーへ移動していく。
結局、誰一人黙って肩を叩かせなかった。

乗船したのはトンレサップ湖に流れ込む川の上流。
川の水は黄土色に濁っていた。

クルーズ船は水上生活者が生活する川に浮かぶ家や教会や学校などの間を下って湖に行き、湖にちょっとだけ出てから乗船場所に戻った。


途中、売店やワニ園のある船に乗り移って見学したけど、往復でも1時間かからなかった。


・・アンコールクッキーの店・・

 

トンレサップ湖クルーズからホテルに一度戻り、少し休憩しすると、今度はアンコール・ワット遺跡観光に出発したが.マイクロバスは、日本人女性が経営する「アンコールクッキー」の店に寄った。

 

この店は、観光客が多いのに、お土産用にちょうど良い品物がないことに目をつけた日本人女性が、地元の材料を使い、地元の女性を雇用して立ち上げ、製造・販売をしているらしい。

 

我が家も買ったけど、ツアー参加者はほとんどこの店でたくさんお土産用にクッキーを買っていた。

 

売店の隣のマンゴカフェ?で、ツアー参加者全員に冷たいマンゴジュースが配られたが、とても美味しかった。(ツアーの特典らしかった。)


・・アンコールワット遺跡観光・・

 

ホテルに戻って、少し休憩してから、今度は今回のツアーの目玉であるアンコールワットに向かった。

 

アンコールワットは、誰もが一度は写真を見ているあの三本の塔で有名な遺跡。

実は四隅と真ん中に塔(祠堂)がある、つまり5本の塔で構成されている。

遺跡は1970年代後半クメール・ルージュによって一部が破壊された。

特に仏像は徹底的に破壊されたようで、仏像や仏の彫刻は影も形も見ることは出来なかった。

壁の岩に壁画彫刻がある回廊は三重になっていて、外から第一回廊、一段上の第二回廊、そして急な階段を登った所にある第三回廊。

第三回廊部分に上るには10数分並んで待たねばならなかったし、下りの階段は目がくらむほどだった。

階段は2年ほど前に木製で作られたもので、それですら下るのが怖かったので、木製の階段が出来る前の、すり減った、しかも幅のない石段を昇り降りしたころのことを考えると、恐ろしくなる。

第三回廊の真ん中にそびえる中央の塔(祠堂)の高さは、地上65mで、そこは神様の住む場所なので、シェムリアップ 市内では65mを超える建物は造れないらしい。

第三回廊にある女神像の状態はとても良く、その中のいくつかの象の胸の部分は黒光りしていた。

遺跡の入り口で、ガイドさんから、彫刻の岩は人が触ることで長期的には劣化が進むので、決して触れないで欲しいと注意されていなかったら、つい触りたくなる衝動を抑えることが出来なかったと思う。

 

アンコールワットの見学が午後に設定されている理由は、見学のあとに夕日に染まる遺跡を鑑賞するためだった。

ガイドさんからその話を聞いたので、期待してその時間を待ったが、ちょっと期待倒れだったかな。

もっと真っ赤に染まるかと思っていたが、それほどではなかった。

 


・・夕食レストラン・・

 

夕日鑑賞のあと、我々の乗ったマイクロバスは、ホテルに帰らず、そのまま夕食のためレストランへ直行。

「アマゾン・アンコール」というバイキング方式でカンボジアの民族舞踊(アプサラダンス)を見せる大型レストランだった。

取り立てて美味しいとかまずいとかの料理はなかった。

ホテルに戻ったが、そのまま部屋には入らず、ホテルの前のおおきな通りの向かいにあるスーパーに行き、一番安い地元のビール(2銘柄)を買ってきた。

部屋に戻り、シャワーを浴びて、洗濯して、ようやくビールにありつけた。

二銘柄とも飲みやすいビールだった。
家内にも評判が良かった。

缶ビール1本分飲んだら、疲れと睡魔がいっぺんにやってきた。

翌日起床が早いこともあったが、9時前にはベットにバタンキューでした。


【二日目の観光】・・・アンコールワットの夜明け観光・・

 

四時半に目覚ましをかけたけど、目覚ましが鳴る前に目が覚めた。

外はまだ真っ暗。

アンコールワット遺跡入り口前でマイクロバスを降り、まだ真っ暗な中、両脇が掘になっている石作りの西参道を、足下を懐中電灯で照らしながら、同じように遺跡の日の出を見るために集まってきた大勢の観光客と一緒に歩く。

アンコールワットのあの三本の塔(祠堂)が見える場所まで来ると、あたりは少しずつ明るくなってきた。

実は、春分と秋分のころに、中心の塔(祠堂)の真上から太陽が昇り、冬至に近い今の季節は中心から一番遠くから太陽が昇るのだ。

それでも、6時半過ぎ、ガイドさんに教えてもらった日の出の撮影ポイントからの写真も撮れて、早起きした甲斐があった。

午前中の観光に出発する時刻まであまり時間がないので、ホテルに戻ると、そのままレストランで朝食を済ませ、8時前には再びマイクロバスに乗り込んだ。


・・午前の遺跡観光・・一番目は、バンテアイ・スレイ遺跡・・

 

最初に行ったのは、シェムリアップから北へ約40キロにあるバンデアイ・スレイと言う遺跡。

名前は「女の砦」と言う意味。

赤い色の砂岩とラテライトで出来ているので、全体が赤っぽく見える。

規模は小さめ、でも、彫刻は精緻で奇麗だった。


・・タ・プローム遺跡・・

 

次の遺跡はタ・プローム。

遺跡がガジュマルの木に覆われていて、木の生命力とその力の大きさに驚くばかりだった。

でも、将来、木が枯れた時にどうなるのか、心配になるのは自分だけではないと思う。

東西1000m、南北650mと大きな寺院らしいが、木に覆われていることもあり、もちろん俯瞰できないし、全体像が全く把握出来なかった。

遺跡見学のあとは、市内に戻って少し早い飲茶料理(中国料理)の昼食を食べた。


・・午後・・スーパーで買い物・・

 

ホテルに帰ってから、ホテルの前のスーパーとコンビニに行き、果物を買った。

ジャックフルーツとマンゴスチン、ジャックフルーツはカンボジアに来てから何度か食べ、これまで食べたことのない味だったので、買ってみた。

最初甘くて美味しく思ったが、二つ三つと続けて食べたら、ちょっとあくのある甘さにちょっと飽きてしまった。

その後に食べたマンゴスチンは、逆にほのかな甘みで水分も多く、いくらでも食べられる気がした。


・・午後の観光・・一番目:ニャックポアン遺跡・・

 

午後の観光は、ホテルを3時半出発。

市内から10km内にある3カ所の遺跡を廻るスケジュール。

最初に向かったのが、ニャックポアン。

おおきな長方形のため池の中に作られた、病を治癒することを目的に作られたもの。

離れ小島で、以前は船でしか行けなかったが、観光客のために道(土盛りと板橋)を造ったようだ。

それでも、昨年は大雨でその道が冠水し、遺跡に近づけずに帰らざるを得ないときがあったようだ。

遺跡は保存のためと思われるが、近づけず、遠くからしか見ることが出来ず残念だった。


・・午後の観光・・二番目:タ・ケウ遺跡・・

 

次は、タ・ケウ。

急な階段を登らないと見学できないというガイドの話を聞いて、誰も登る者はいなかったので、記念撮影して、さっさと次へ移動。


・・午後の観光・・三番目:バンテアイ・クデイ遺跡・・

 

次は、バンテアイ・クデイ。

坊さんが住んでいた寺院らしいのだが、おそらく寺院の中ではなく、寺院のそばだったのではないかとガイドが説明した。

西塔門から入り、ほぼ一直線で東塔門まで見学したが、途中何カ所かの壁などが傾いて寺院は崩壊寸前の様相を示していた。


・・二日目の終わり・・

 

カンボジアの旧宗主国はフランスだったからであろう、夕食は、「アバカス」というフランス料理だった。

レストラン内はなぜか我々のグループ(四人)だけだった。

この日もホテルに戻ってから、ホテル近くのスーパーに行き、ビールと果物を買った。


【三日目】・・午前中、ベン・メリア遺跡・・

 

最後の日、これまでで一番遠い遺跡ベン・メリアに向かった。

ホテルから北東約60キロ、約1時間20分の道のり。

市の中心から5キロ付近までの途中の国道6号線の両側には車のディーラーやバイク店など色んな小さな店が建ち並んでいた。

ベン・メリア遺跡の入り口では、黒檀の実を売っていた。

ガイドによると、本当の黒檀の実ではなく、黒檀の仲間の木の実らしい。

中国人が黒檀の実を好むらしく、偽物と知らないで買って行くらしい。

周辺に以前は黒檀の木がたくさんあったが、原木が高値で売買されるため、伐採されて今はほとんどなくなってしまったとのこと。

ベン・メリア遺跡付近は地雷の撤去が一番遅かったらしい。

10年ぐらい前に、ようやく遺跡のすぐの周辺までの地雷が撤去されたが、少し離れた一帯の地雷撤去が終了したのは、2011年だった、とのこと。

遺跡内はあちらこちらに、崩壊した遺跡の一部であった大きな石が散乱していた。

遺跡の修復もまだ始まっておらず、観光客が遺跡の中を歩くために木製の通路や階段があるだけ。

この遺跡も昨日見たタ・プローム遺跡と同様、ガジュマルの木などに覆われており、アニメ映画「天空の城ラピュタ」のモデルだと言う話もうなずけた。

ガイドが、この遺跡だけは修復せずにこのままの状態で保存しておいて欲しい、と言う言葉に共感した。


・・昼食・・カンボジア料理・・

 

昼食は、市の中心に入る直前の国道6号線からすこし路地に入った大きなレストラン。

カンボジア料理のレストランとのことで、どれも普通に食べられる味付けだったが、牛肉と言われた肉はすごく堅くて、あごが疲れた。

もしかしたら水牛の肉かも?

デザートで出てきた竜眼(リュウガン)という実はライチに似た味で想定外に美味しかった。


・・午後

 

1時過ぎにホテルに戻り、ツアー特典の無料マッサージ(20分)をしてもらった。

 

そのあと、荷物をスーツケースにまとめて3時にチェックアウトした。

 

飛行場に送ってもらうバスが来る5時過ぎまで、時間つぶしとお土産探しを兼ねてオールドマーケットに行った。

 

歩いても15分ぐらいだけど、炎天下を歩くのはきついので、ホテルの玄関前にいたトゥクトゥク(バイクタクシー)に初めて乗って行った。

 

オールドマーケットの中を一通り周った。

 

表通りはお土産物の店が多かったけど、中に入ると野菜、果物、魚などの生鮮物も売っており、魚の生臭さが少しきつかった。

 

オールドマーケットの外側に日本人の経営する雑貨店があり、すべて値札が付いていて安心して買えたので、そこで胡椒などのお土産を買った。

 

日本語がそこそこわかり値段は交渉次第、とガイドから前日教えてもらっていたお店で、絹100%のスカーフを買った。

 

店員が最初に言った値段は5枚で70ドルだった。(一枚当たり14ドル)

 

30ドルにしろ、と言ったら、一枚足して6枚で50ドルと言ってきたので、オーケーした。

 

一枚当たり8ドル強、約700円?

 

粘ればもっと安くなった感じがないでもない。

 

また100%シルクかどうかも、ちょっぴり疑問だ。

 

カンボジア最後の時間、オールドマーケットからホテルまでの帰りは、地図を片手に歩いてみた。

 

時間に余裕があり、観光客と見ればトゥクトゥクの運ちゃんが声をかけてこなければ、もっとシェムリアップ市内を散策してみたかった。

 


 14日の夜、シェムリアップ空港に迎えにきていたガイドのソーさん(ツアー中のガイド)がホテルから空港までもマイクロバスで送ってくれた。

 

彼に別れを告げて、空港のカウンターで搭乗手続きをして、出国審査を受けて無事搭乗ゲートに入り、出発時刻を待った。

 

ホテルから持って来た水のペットボトルは出国審査の時に自主的に破棄したけど、搭乗ゲートで無性に水分が欲しくなり、ゲート内売店の飲料の値段の高さを見るにつけ、ペットボトルを捨てなければ良かったと後悔した。

 

バンコク行きの便はほぼ定刻に出発し、定刻前にバンコク空港に着いた。

 

離陸から着陸までの時間を計ったら、たったの46分だった。

 

来たときと全く同じ軽食が出た。

 

バンコク空港の乗り換えは、来た時同様、一瞬迷ったけどすぐに搭乗ゲートを確認できた。

 

搭乗ゲートの一番近くの、売店が集まっているコーナーで土産物を見ていたら、派手な柄のワンピースを着た日本人らしき女性とすれ違った。

 

すれ違う瞬間に顔を見たら、何となくフィギアスケートの荒川静香に似ていた。

 

一緒にいた家内に話したが、顔はよく見なかったという。

 

搭乗ゲートで搭乗時間を待っていたら、その彼女が近くを通り、二人で「やっぱり、荒川静香だね。」と納得。

 

成田への帰りの便は、行きより遥かに航空時間が少なく、5時間あまりで着いた。

成田着はまだ朝の7時過ぎだった。


【カンボジアやシェムリアップについての豆知識】


「遺跡の石」

遺跡に使われている石は、砂岩とラテライトという二種類の石が使われている。
ラテライトは無数の穴が空いていて赤く、堅いので彫刻には向いていない。
そのため、主に遺跡の土台部分に使われている。
一方、砂岩は適度な堅さで彫刻しやすく、アンコールワット遺跡群の彫刻は皆この砂岩で出来ているらしい。
遺跡の岩には直径4センチぐらいの穴が空いている。
岩を運搬する時、雨期は水量がある川で船を利用し、乾期は陸路を、象を使って運んだらしく、その時に木を突っ込むときに使った穴の跡なのだと言う。

 

「カンボジアの物価」
カンボジア国内の地方の物価は、日本の10分の1、観光都市シェムリアップの物価は地方の約三倍。
市の中心街にあるホテルのすぐソバにあるスーパーやコンビニの品物の価格だが、地元の缶ビール(330ml)が0.6〜0.65ドル、輸入ものは二倍から三倍。
輸入品が多く、それらは日本より少し安い程度。でも、これらの店の主な顧客は観光客や市内に住む外国人のようだ。

「生活レベル」
市の中心から車で十数分走ると、道の両側には高床式の祖末な家が点在している。
以前はたびたび洪水が発生したことから、高床式であったが、新しい家は高床式でない家が多かった。それは最近洪水がなかったからだという。
ところが、昨年は大雨のため洪水が発生して大変なことになったようだ。
貧しい家の場合、水は近くの川から汲んできて瓶に入れて上澄みを使っている。
井戸を掘れる家は井戸水を使う。
2〜3m掘れば水が出る、深く掘れれば(お金をかければ)きれいな水が出る。
市街地には水道管、ガス管も通っているが、ガスはとても高額のようで、一部の家しか使っていないようである。

「収入」
学校先生の収入は、学科の違いなどにより相当に幅があるらしいが、ざっと月額100ドルが目安らしい。
ただし、その額では全く生活できないので皆アルバイトしているようだ。
この国では公務員のアルバイトは全く問題なく、先生は午前か午後のどちらかを担当しているので、学校で教えていない時間帯に主に塾の先生をするらしい。しかもその対象が自分が学校で教えている生徒なのだと言う。

 

「結婚について」
基本的に恋愛結婚はない。
最近は都市の一部で出始めたがニュースになる程まだ少ないようだ。
結婚するためには、まず、男性が結婚したい女性がいたら、親に報告する。
親は女性の素性などの調査を行う。
問題ないことを確認したら、女性の親に申し込む。
すると女性の親も男性の素性調査を行う。
問題ないことを確認して、初めてお見合いとなる。
ところで、お見合いでは女性側に決定権がある。
この逆で、女性から相手を捜すことは全くない。
つまり、選択権は男性にあり、決定権は女性にあると言うこと。
結婚前に付き合うことは許されないようだ。

ガイドさんの場合は、彼の母親が友人(女性)の娘と結婚させようと仕組んだようだ。
彼が友人の娘を気に入っていると友人の母親に言う、先方の母親も承知の上でオーケーし、お見合いさせる。
彼はそれまで彼女を全く知らなかったので、お見合いの前に彼の妹と一緒に相手の女性を確認しに行って、かわいかったので結婚した。(おのろけか?)

本人が話した内容なので、若干脚色があるかも知れない。
あと、男性が奥さんの家に入る習慣があり、実際に彼はお嫁さんの家に入ったようだ。
彼の実家は市内なのに、市内からバイクで40分のお嫁さんの家から市内に通勤しているようだ。
(朝早い時・・アンコールワットの夜明けを見るツアーのガイドをする時・・は実家に泊まるようだ。)

 

「ドリアンについて」

ツアーメンバーの男性が、「ドリアンは美味しいから、食べたことがないのなら是非食べた方が良い、ガイドさんに調達してもらおう」ということになり、ドリアンの話をガイドにした。

すると、ガイドの言うには、「ドリアンにも産地があり、一番美味しいドリアンはカンボジアのある地域のものであるが、そこのドリアンは5〜6月しか採れない」という。

そのドリアンは臭いが薄いのだと言う。

自分は家族の中でドリアンが一番好きだが、そのドリアン以外は食べない、とも言う。

いま市内で売っているが、それは輸入したものだ。

そこまで言われては、「美味しくなくても良いから食べたい」とは誰も言えず、この話は先に進まなかった。