スペイン旅行記(2004)

成田空港
成田空港

2004/11/9

LH715便 13:00発→13:15離陸 13:55新潟上空通過 14頃より飲み物配布始まる。

14:30頃昼食配付。

その後軽食(サンドイッチorおにぎり)配付有り。時計を現地時間に変更(8時間遅らせる)。

1時頃オーロラが見える。

何回も見たが、すぐに形が変化したり消える。

3:30機内照明が点灯、夕食準備始まる。

フィンランド上空通過、森と無数の湖が見える。

夕日も前方に見える。ミュンヘン着5:35。ミュンヘンは雪。

LH4428、7:20発の予定が8:30離陸。→ マドリッド着10:55。

プラド美術館
プラド美術館

2004/11/10  (予定)モーニングコール7:30、ホテル出発9:00
 今日は午前中市内観光、午後はフリー。
 寒気が来たということで、ジャケットの上に羽織るジャンパーを持ってバスに乗る。
バスは王宮の脇を通ってプラド美術館に直行、9時半ごろ入場して11時に退場。
 館内では二組に分かれ、それぞれの組に日本人ガイドと現地ガイドが付いた。
 絵の説明などはすべて日本人ガイドが行なった。
 世界三大美術館のひとつだけあってさすがである。
 ガイドの後について観て回るのはせわしないが、いろいろな話が聞けて、それを聞いた上で見ると、また違った印象が得られるのは良いことである。
「子供を食らう」ゴヤの絵を見て、30年前に友人と二人でここに来て、この絵の絵葉書を買ったことを思い出した。
 プラドの後は、グランビア通り(マドリッド一の繁華街)を通ってスペイン広場に向かう。
 広場で少し散策。工事中のためか、柵越しにしかドンキホーテたちの像が拝めなかったが、脇からは像のところまで行くことができた。像の脇で写真撮影する人もいた。
 次は王宮前で下車して散策。天気も良いし気持ちが良い。
 日本旅行公認の革製品の店に連れて行かれる。
 旅行が始まったばかりなのに、もう何万円ものバッグを買うメンバーも見受けられる。(~12:40)
 その後、バスでレストランに向かおうとしたら、王宮前で王宮の警備兵の行進にぶつかり10分以上進めなかった。
 でも、そのお陰で、警備兵の行進をバスの中からゆっくり見物できた。
 レストランはプエルタ・デル・ソルから歩いて5分ほどのC.de Preciados通りに面した店だった。
 現地での最初の昼食であり、長いテーブルに数種類の料理が並んでおり、各自が自分の前の料理を適当に自分の皿に取って食べたが、意外に量が多く、結構残ってしまった。
 自分も思ったほど食べられなかった。
 14時ごろ、全員でバスの停車している場所に戻ったが、我々はホテルに向かうバスに乗らずに、男子学生と50歳代と思われる女性(ともに一人でツアー参加)と一緒に「国立ソフィア王妃芸術センター」ヘ徒歩で向かう。
 途中、国立銀行の前を通ったら、銃を持った警備員?が目に付いた。
 15分ほど歩く。
 ソフィア王妃芸術センターに着くと、プラドとテッセン美術館との3館共通入場券を購入した。7.66ユーロだった。
 ここに来た目的のピカソ「ゲルニカ」を見たが、それほど感動しなかった。
 せっかくなので、ゲルニカ以外の展示物も見たが、量が多いので見るだけで結構疲れた。
 建物の外側に後付けされたエレベータ(全面ガラス張り)で最上階に昇ると、春に爆破事件があったアトーチャ駅がよく見えた。
 16時過ぎ、ソフィアを出てプラドに向かう。
 歩き疲れたので、途中のスターバックスで17時迄休憩した。
 実は、最初ソフィアで休憩しようとしたが、ソフィアの地下の店は混んでいてゆっくり座れる席がないため、適当な店を探しながらプラドに向かって歩いたら、スターバックスしかなかったのだ。
 スターバックスを出る時に、単独行動を取ると言う男子学生と別れて、3人でプラド見学(~18時)、テッセン見学(~19時)と立て続けに鑑賞。
 これだけ続けて鑑賞すると、それほど美術に造詣があるわけでもない我々夫婦は、さすがに音をあげざるを得なかった。
 テッセンからホテルまでは、距離的には歩けない距離ではないが、治安が悪いということも有り、途中からタクシーに乗ろうと言いながら歩き始めた。
 途中、グランビア通りも歩いたが、治安が悪いと言うことが頭にあったため、ウインドーショッピングする余裕も無く、黙々と人をよけながら歩いていた。
 午前中写真を撮ったりしたスペイン広場の前に着いたときは、既に夕暮れだった。
 ここで一度はタクシーに乗ろうかと思ったが、結局北駅(ノルテ駅)の前にあるホテル前まで歩いた。
 夕食のために、そのままホテルを通りすぎてシードルの店を探して入る。
 この店は、昨夜空港からホテルまでバスで来る途中で、添乗員から教えてもらった店。
 我々の座った隣の席では、父親と娘、息子と思われる三人がシードルを飲みながら食事をしていた。
 隣の席の食べているものを参考にして注文することにした。
 まずは三人で720mlのシードルを1本注文した。
 アルコール度4.5%、ちょっと酸味が強すぎる。
 アルコールに弱いのか、一緒に行った女性は1杯しか飲まなかった。 
 4.4ユーロのサラダには驚いた。
 ステンレス製のバットに入ったまま、ラップされた状態でテーブルに出されたのだった。
 パイには肉ではなく魚が入っていた。
 21:30 店を出て、通りを散策しながらホテルに戻る。  
 途中、野菜や果物も置いているコンビニみたいな店があったので入った。
 泊まったホテルにはシャンプーやリンスなど全く無く、このままだと持参のシャンプーでは足りないのが目に見えていたのでシャンプーを探したが、適当なものが見つからなかった。

トレド
トレド

2004/11/11 モーニングコール7:00、バッゲージアウト8:00、出発9:00

 快晴、朝の空気は冷たい。

 息が白い。

 トレド(マドリッドから70km)に向う。

 バスは市街地(三方を川に囲まれている)に入らず、旧市街が一望できる展望台(最高の景色、パンフレット写真の風景そのままが広がっていた)に寄ってから改めて旧市街に入り、カテドラルの近くで下車。

 カテドラルの前の広場→サントトメ教会→地元35年の男性ガイドの案内で路地を歩き、城門の外に待っていたバスに乗った。

 カテドラル前では、移動しようとすると、ご主人の姿がないとメンバーの奥さんが言いだし、皆で捜したが見つからず、どうしようかと言っているところに、ご主人がふらっと戻ってきて一件落着。

 なんとこのご主人、工事の為閉館中のカテドラルに勝手に入り込んでいた模様。

 バスはレストランに行く前に象嵌の店に寄った。工房の中で店の人(日本人)から説明を聞きながら職人の仕事振りを見学した。

 昼食のローストチキンはパサパサだった。

 14時出発。

 110km走ってカンポ・デ・クリプターナに到着。曇りで、風もあった。

 いくつもの風車が丘の上にあった。

(15:20〜15:50)我々のバスが風車の丘からで降りてくるとき、丘に向かって歩いている日本人数人とすれ違った。どうやってここまで来たのだろうか。

 300km走ってコルドバに到着。市内に入ると渋滞に巻き込まれ、ホテルに着いたのは20:50。

 そのままレストランに直行、赤ワインを飲む。

 浅草今戸生まれの奥さんに大阪生まれのご主人。

 江戸川区小松川の年配ご婦人二人組と一緒のテーブルで食事。

メスキータ
メスキータ

2004/11/12 モーニングコール7:30 バッゲージアウト8:30 出発9:30

 

 朝のテレビで、アラファト氏の写真とロウソクの映像が何度も写っていた。

 いつ死んだのだろう。

 バイキング形式の朝食はフルーツがたくさん揃っていた。

 部屋にはシャンプー、リンスも有り、マドリッドのホテルより良かった。

 コルドバ市内観光は、メスキータ(赤と白の模様が特徴的)とアルミナールの塔花の小路(家々の外壁に鉢植えの花を飾っている。)、ユダヤ人街、そして自由時間でアルカサル※を見物して、集合場所へ。

 ※アルカサル入場無料だった。一部は(解体?)工事中だった。庭園は広すぎて全部見ている余裕は無かったが、建物から俯瞰することだけは出来た。

 レストランは中庭(パティオ)を持つ屋敷を利用しており、我々は建物内部で食事したが、中庭にもテーブルが置かれていた。

 昼食後、ローマ橋の隣の橋を通りセルビア(セビージャ)に向かう。

 セルビア市内観光は、ヒラルダの塔、大聖堂内部、大聖堂を出てアルカサル前、ユダヤ人街と歩きムリーリョ公園を横切った所でバスに乗りスペイン広場(噴水が夕日の光を浴びて虹を作っていた)に向かう。

 ※ヒラルダの塔:内部が馬で登れるように階段ではなく斜面になっていた。同じツアーの年配のご婦人が忘れ物をしたと言ってこの塔を続けて2度登った、すごい体力。

 →ホテルは最近出来た近代的なホテルだった(着18:00)。

  

 ロビー18:30集合でオプショナルツアーのフラメンコ(シアター形式)にバスで向かう。

 席は舞台から10mぐらいは離れており、また内容的にも迫力はなく感動するものではなかった。(滞在時間、7:00〜8:40)

 女性のカメラマンが踊り手と一緒に撮影してくれた写真は1枚7ユーロだったが買わなかった。

 新婚旅行でのパリのムーランルージュの写真に比べると安い感じがしたけど臨場感の無い写真だった。

ロンダの街並
ロンダの街並

2004/11/13 モーニングコール7:00 バッゲージアウト8:00 出発9:00

 

 渓谷の街「ロンダ」と白い村「ミハス」を観光してグラナダまで行く。

 

 ロンダまでの道路は、最初は割と平坦なところを走っていたが、徐々に起伏がある場所を走り、最後は山の中を走っていた。

 ロンダ10:50着)では昼食(12:20集合)までフリーだったが、なぜか全員で闘牛場(スペイン最古)に入場、その後ようやく皆ばらばらに行動した。

 添乗員から教わった新市街と旧市街をつなぐ高さ100mの絶壁にかかるヌエボ橋を下から望める所(公園)に向かい、そこから少し下に降りて旧橋を渡って旧市街に入った。

 サンタマリア教会を見てから、新市街を絶壁越しに見える場所に行き、ヌエボ橋を渡って集合場所の闘牛場前に戻った。

 昼食後、バスターミナルまで歩いた。途中の通りで既にクリスマス用の飾り付けの一部と思われるツリー型のネオンを見た。14:10次の目的地ミハスに向かって出発。

 バスはどんどん山岳地帯に入って行き、急斜面を削って作ったと思われる道路を走り続け、ついに遠くに地中海に突き出したジブラルタルを望むことが出来た。

 一度海岸に出た所で、海岸を走る(有料)高速道路に入り、国際リゾート地のコスタ・デル・ソルを20kmほど走ってから高速道路を降り、少し内陸のミハス山脈の山麓の村ミハスに向かった。

 村は全体が傾斜しており、車の入れない狭い階段状の道をいくつも見た。

 途中から、もらった地図も見ずに歩いていたら、ミハス1番の観光名所「サン・セバスチャン通り」に出ていた。

 フリータイムは1時間半あったが、最後は時間を持て余すことになってしまった。

 風が強く、集合時間近くなると夕陽になっていた。(ミハス滞在 15:40〜17:15)

 昨夜のフラメンコショーに満足していないのを知ってか、それともセルビアでは恒例なのか、午前中のバスの中で、添乗員からセルビアでの洞窟フラメンコショーの案内があった。ロンダのレストランで早速申し込んだ。

 グラナダ到着19:15 

 ホテルはアルハンブラの丘の中にあり、宮殿の駐車場のすぐ脇だということだったが、到着が夜だったので宮殿は確認できなかった。

 夕食は8時からであった。

 洞窟(タブラオ)フラメンコ行きのマイクロバスは、9:20にホテルを出発し(混載)

 9:40に洞窟前に到着。

 途中、グラナダの繁華街を通ってアルバイシン地区に入ったらしいが、右側ががけの細い道を行ったことがわかっているだけで、後で地図で見てもフラメンコが行われた洞窟の位置は良くわからなかった。

 洞窟(奥行きは10m以上はあった)に入ると、中には両側に一列ずつ、奥には4列椅子が並べられ、座ると一人一杯づつ飲み物の注文を聞かれた。

 飲み物と言っても、選択肢はサングリア(ワインに果物を付け込んだお酒)とコーラぐらいしか記憶が無い。

 ショーが始まる前にトイレに行った。戻ってきたらもう一杯サングリアをもらった。ショーは10:00〜11:30だった。

 思ったよりショーの時間は短かった。

 座る席によって感想が異なると思うが(私の席は洞窟の奥の方だったので、主に踊り手が踊る場所から4〜5m離れていた。)ちょっぴり欲求不満のショーだった。

 踊り子の汗が飛んでくるような感じが無かった。(それを期待していた。)

 ショーが終わって洞窟を出たのは良いが、外には、次のショーの客や同じように帰りのバスを待つ客があふれかえっていた。

 しばらく待った頃、ようやくマイクロバスが来て乗り込んだが、走行中のバスの中でガイド(?)から、アルハンブラの夜景を観たいか、と聞かた。 想定より時間が遅くなったことから若干躊躇する人たちがいたが、バスは途中で停車した。

 皆バスから降ろされ、ガイドの男性に引きつられて、人気の無い深夜の路地を5分ほど歩いた。

 教会のような建物の脇に出ると、目の前にライトアップされたアルハンブラ宮殿が現れた。

 数分の後、同じ道を戻りバスに乗せられ、他の参加者をホテルに届けるため少し大回りをしてからホテルに着いたのは1時に近かった。

 土曜日の夜と言うこともあってか、途中の繁華街には大勢の若者の姿があった。

アルハンブラ宮殿
アルハンブラ宮殿

2004/11/14 モーニングコール6:30 バッゲージアウト7:30 出発8:30

 

 朝、歩いてアルハンブラ宮殿に向かう。

 ここでも現地ガイドは、人数の手前二人付いた。

 年配の男性と中年の女性だったが、実は最後に、この二人が夫婦だったことを知らされた。

 ガイドの案内の後にフリーな時間があると思っていたが、夏の離宮であるヘネラリーフェ庭園の観光が終わると、そのままバスの待つ出口に向かった。(見学時間8:50〜10:50)

 

 バスは、レストランに行く前に寄木細工の店に寄った。

 日本にいる二人の子どもに、旅行中まだ連絡を一度も入れてなかったので、電話しようと思い添乗員に聞いたら、青い電話なら多分1ユーロコインでかかるだろうとの事だった。そこで、店の外にあった青い公衆電話でかけたが架からず、なぜかコインも戻らなかった。

 昼食のレストランは、街の中心街のエルコルテイングレスデパートの隣だった。

 

 昼食後の10分間、電話に再チャレンジしようとしたが、青い電話が見つからなかった。

 13:20 今日の宿泊地のアリカンテに向かう。

 途中のサービスエリアで、水の他、テーブル用のオリーブオイルの小瓶をお土産用に10本買った。

 ホテルは、アリカンテの中心をはるか北に行った所だった。アリカンテ着18:20。

バレンシアの広場
バレンシアの広場

2004/11/15 モーニングコール6:45 バッゲージアウト7:45 出発8:30

 

 ホテルは、海岸から5分もかからない場所だったので、朝食前に海岸に出てみた。

 海からの日の出を撮影しようと思ったが、水平線の上の雲のために見ることが出来なかった。

 今日の行程は、バルセロナでフリータイム後昼食、午後はバルセロナまで一直線。

 今日も快晴であった。

 バスは8:35出発。

 バスは、地中海の海岸線から内陸に入るとオレンジ畑が多くなってきた。途中の街では練棟式の新しい家並みが目立った。

 バレンシア着11:15 

 昼食のための集合12:45までフリータイム。

 観光の目玉の一つ「ラロンハ」は工事中で入場できないため、添乗員を先頭にミゲレテの塔があるカテドラルに向かった。

 お金を払ってミゲレテの塔に登った。

 塔から降りてカテドラルの内部を見てから外に出て、カテドラルの回りを歩いてから集合場所に近い中央市場に行く。

 ここではチリモヤ(chirimollas)と言う緑色の果物を買った。0,99ユーロ。昼食はバレンシア地方の代表料理パエリアだった。

 メンバー(添乗員含むと37名)全員で大きな鍋一つ。皿に移す前にメンバーに披露され写真撮影となった。

 パエリアは、漁民が庭で手っ取り早く食事をする料理法だったらしいので、本来のものは余り日本人の口には合わないらしいが、我々に出されたパエリアは、皆が口をそろえて「おいしい」と言った。

 これまで、必ず食べ残しが見受けられたのに、このパエリアは誰も残さなかった

バルセロナのホテルは市の北方(20km)の郊外にあり、バルセロナに近づいてから渋滞(約30分)につかまり、ホテル着は19:10。

 ホテルのすぐ脇に、フランスのスーパー「カリフール」があり、10時迄開いているというので、夕食を早々に切り上げて(20:15〜21:05)早速「カリフール」に向かった。

 他のメンバーも多数同じように「カリフール」にやって来ていた。

 お土産用のチョコレートやエダムチーズ、フィルム等を買った。

 ホテルに戻、りシャワーを浴びた後、ホテルの公衆電話で家にいる娘に初めて連絡を付けることが出来た。

 1分で2ユーロだった。

 今日のホテルは三つ星であったが、建物はこれまでで最低であった。

 廊下が外に面していて、ビデもなくベッドの上の明かりも片方は球が無かった。

 セーフティボックスが入っている木製ロッカーも、扉の片方の丁番が一つ外れた。

サグラダファミリア
サグラダファミリア

2004/11/16 モーニングコール6:45 バッゲージアウト7:30 出発8:30

 

 バスで市内観光に出発。

 まずガウディの代表作「サグラダファミリア」、よく写真で見る有名な塔は教会の左右に対象形に位置するもので正面部分は現在工事中だった。

 正面部分が総て完成するためには現在あるアパートを取り壊すことになるとの話。

 古いほうの塔の前にある池越しに全景の写真を取ることが出来た。

 次もガウディのグエル公園。ここは幼稚園から高校生までいくつもの遠足?課外授業に出会った。

 カサミラ邸をバスから見て、モンジュイックの丘を登り、オリンピック競技場の見学(全く面白くない)。 

 その後市街地に戻り中華料理店に入る。

 白いご飯が大量に出されたため、半分ぐらい残ったけど、おかずのお皿は奇麗になくなっていた。

 昼食後、バスでカタルーニャ広場に行き、今夜の集合場所を確認してから2時ごろ解散。

 二人で地下鉄(1.1ユーロ)に乗り、二駅乗ってディアゴナル駅下車。

 少し戻って「カサ・ミラ」に入場(7ユーロチョット高いかな)。

 エレベータに乗って最上階まで行き、展示物を見学してから屋上に出る。

 屋上には、騎士の頭部の形のモニュメント?が多数有り。

 最上階の下の階も公開されており、売店もあった。

 「カサミラ」を交差点越しに撮影しようとしていたら、カップルの旅行者からカメラ撮影を頼まれる。(チョット驚きでした)

 その代り、我々も撮影してもらった。

 スペイン唯一の有名ブランド「ロエベ」の本店を冷やかし(実は買うつもりもあったのですが・・・)。

 カサ・パトリョをチェック。

 カタルーニャ広場を通り、サン・ジョゼップ市場に入る。

 最初はカタルーニャ広場近くのバルで一杯やりながら夕食をしようと思っていたが、市場で買い出ししてホテルで食べることに変更。

 市場内の店では、野菜や果物が奇麗に並べられており、見ているだけでも楽しかった。

 今夜の夕食用に小さなフランスパン2本、初めて見た果肉が真っ赤な果物、生ハム(これは市場の入り口脇の店で100g確か5ユーロぐらい)を購入。

 生ハムを買った直後、日本人旅行者と思われる女性から「こちらにお住まいの方ですか?」と聞かれてビックリ。

 「いえ、単なる旅行者です。」と答えるしかなかった。

 ランプラス通りを歩きグエル邸をチェック、レイアール広場を横切り、カテドラルの前に出る。・・・カテドラルは、工事中のため、カテドラルの実物大の写真を外に貼っていた。 30年前に訪れたときはお祭りで大勢の人でにぎわっていたのを覚えている。

 それから、サンタ・カテリーナ市場に行ったが工事中で入れず。

 北に向かい、カタルーニャ音楽堂

 音楽堂の脇の道を行くと人だかりが有り、学校と思われる建物の中から小学生が出てきて親子一緒に帰っていく風景に出くわした。

 こちらでは、小学生の下校は保護者が迎えに行くようです。

 北に向かいカサ・カルペットを捜していると、年配の男性から声をかけられた。お蔭で、カサ・カルペットの場所(持っている地図が間違っていた)を教わることが出来た。

 ただし、その男性から、「スペイン人はスペイン語を話す、カタルーニャ人はカタルーニャ語を話す、わかりますか。」と何度も英語で繰り返し言われた。

 持っていたノートみたいなものから想像すると、学生か、それとも大学の先生か?・・でも年齢的には60を超えていた。

 カサ・カルペットをチェックした後カタルーニャ広場に戻る道沿いにあったスーパーに入り、夕食用のトマト、カバ酒を購入。

 エルコルテイングレスデパートに入り、チョット買物してから歩き疲れたので広場に面した喫茶店に入る。

 1時間半ぐらい時間を潰してから、広場の回りをウインドーショッピングし、時間調整してから集合場所に8時10分前に戻ると、ほとんどのメンバーがすでにバスに戻っていた。

 ホテルに戻り、昨日バレンシアの市場で買った果物(チリモヤ)や今日買ったパン、生ハム、カバ酒などで簡素な旅行最後の夕食を食べた。

 生ハムは、これまでホテルで食べたチョット塩気の強い物とは全く別物でとてもおいしかった。

 翌日はとても早いので荷造りをほぼ完成させてから11時頃就寝。

ホテルの部屋で
ホテルの部屋で

2004/11/17 モーニングコール3:00 出発4:00 


 バッグは自分でロビーへ

 予定通り3時に起床、3:50にロビーに降りる。

 ところが、4時過ぎてもバスが来ない。

 ガイドの話では、昨夜遅くまでバス(運転士)を使ったため、今日は早い時間からバス(運転士)は使えない、と言うことのようだった。

 急遽空港までタクシーで行くことになったが、そのタクシーがなかなか台数が集まらない。

 ようやく来たタクシーに分乗して空港に行くことになり、私は妻より先にタクシーに乗った。

 そのタクシーは、途中120kmで飛ばし、それでも20分かかって空港に到着した。(5:05〜5:25、42ユーロ)

 後から、他のメンバーに聞いたら、140kmで飛ばしたタクシーもあった模様。

 最後のタクシーが空港に着いたのは6時すぎ。ナントカ6:35発の飛行機に間に合った。離陸は6:55。

 ホテルで渡されたお弁当には菓子パン、リンゴ、ジュース(紙パック)が入っていた。

 機内で出された軽食は、サンドイッチ(フランスパンにセロリとチーズ、又はチキン)。

 フランクフルト着9:10。フランクフルト13:40発予定が14:20離陸。

 理由はミュンヘンからの乗り換え客を待っていたからであった。

 その客の中に、身障者(スポーツ選手の団体のようだった)が含まれていた。

 機内の夕方6時過ぎに、時計を日本時間午前2時過ぎに変更。

 一眠りして起きたら6:30、乗務員が熱いナプキンを配付し始めた。